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ダリのサルバドール



ダリの回顧展に行ってきた。




他人の芸術に触れる時


人間はまず何を感じるべきなんだろう…


色の鮮やかさを感じ取るか


個性を実感するべきなのだろうか


描かれた事物への意味の深さに感銘すべきなのだろうか


凄いと思うべきなのだろうか



今回ダリの作品をみて思ったことは


芸術はそれら全てが当てはまり、

そして全てが的外れなんだろうということだ。



結局意味不明なまま終わった。


でも意味なんて求めちゃならんのだと思った。



いやどっちでもいい。




絵を見る時


「こう見るべきなんじゃないかな。」


と思った瞬間


自分にとってのその絵の価値は


消滅してしまうのだと思った。



きめ細かいからいい作品だ

とか


テクニックが多用されているからいい作品だ

とか







枠に囚われる自分が嫌い。


常時抜け駆けを企てていたり。


あぁ、やっと枠から抜け出せた。


と思ってもその「抜け出した枠」を作っちゃってる瞬間


結局枠に囚われている。




何から何まで人間には何か限界があるものだと


思い込まされている。


数式によく出てくるような「無限」は


あくまで理論の話であって


実際には「無限」なんか存在しないと無意識に思い込んでいるのかもしれない。




人間は宇宙の果てを夢見ているんじゃない。


人間は宇宙に果てがある事に安心したいのだ。








ダリは絵で何かを伝えたかった。


かもしれないし伝える気はなかったのかもしれない。


確たるものがあった訳ではないかもしれない。



行列の中で少し冷静になって


「こんな意味の分からない絵のどこがいいだろう」


って思ったりもしたが


おそらくそれは行列という環境がそう思わせただけで



ぽっと名の知れない喫茶店かなんかで


ダリの絵があれば100%惹かれているだろうと確信する。





最後までよくわからなかった。




けど


惹かれた。



極論ではそれが全てだ。



理由は問わないようにしたいし


むしろ問う必要はない。



強いて言うなら


一瞬


言葉なんて直接的な表現が無力にも思えた作品だった。





帰り道


何故か僕の中のもやもやが


すっきり消されて行くことだけは


はっきりと実感できたように思う。


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